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げんだいゆいぶつろんこうわ
現代唯物論講話
戸坂 潤
「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页
処がマルクス主義的方法は之に反して、正に弁証法的でなくてはならぬ。形式論理学は同一律に基く、又同じことであるが矛盾排除に基く。だからそこで取り扱われる事実は、凡て自己同一的な固定物としてしか登場出来ない。そういう固定物をつき合わせて出来た認識の対象界は、全く機械的な又――前に云った意味で――形而上学的な世界でしかない。弁証法的方法は之に反して、却って矛盾そのものを槓杆とする。そこで取り扱われる事物は矛盾をこそその本質としている。それであればこそ、その矛盾を統一すべく、事物は運動して止まないものとして取り扱われなくてはならない。そして本来存在自身がそう取り扱われねばならない性質を有ったものであった――前を見よ。
マルクス主義に於ける唯物論的方法は実証的であった、だがそれは実証主義的であってはならない。実証主義は経験的事実の単なる収集・記述・の外へ一歩も出ないことをその方針とする、夫は経験主義に他ならない。処が弁証法的方法は、経験的事実の一定段階の収集の結果として、原理――それはもはや単なる経験的事実ではない――を抽出する。そう云った云わばアプリオリを産むものは経験であるが、一旦産まれたアプリオリは逆に経験を指導して新しい経験を産む。