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げんだいゆいぶつろんこうわ

現代唯物論講話

戸坂 潤

「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页

青空文庫

経済的自由に対する国家的な、或いはもっと正確に云えば支配社会階級的な、強制が、初めて統制経済となるのである。これと全く同様に、プロパーな意味での文化統制は元来、いつも文化の支配社会階級的な強制に他ならないのである。この支配的社会階級が主体となって、意識的な人為的な文化統制を与えるのである。――ただ、統制される文化自身が、元来この支配的社会階級自身のものである時に限って、この統制は前の例で見たように、無意識的となり又自然的となるのであって、従ってその場合、もはや特に文化統制という言葉で以ては、世間の問題にならないまでである。

でこう見て来ると、元来文化統制なるものは支配階級による文化の強制のことでしかないのであって、偶々この文化が支配階級自身のものであり、又はそういうものとしてしか問題にならない場合に、初めて、例の一般的な抽象的な社会統制(社会それ自身が強制であり又統制であるということ)の一部としての、かの内部的(文化的)並びに外部的(道徳的)な自然文化統制となるのだった、ということが判る。

文化が有つと想定された自由が、その自由の名目によって、反支配階級的な内容の自由を意欲するようになる時、だから、例の無意識的な自然的な文化統制機能は、その形式的な八百長式の状態から、俄かに本然の姿に立ちかえる。