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ゆだんたいてき
ゆだん大敵
山本 周五郎
「講談雑誌」博文館、1945(昭和20)年2月号
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 20,664 字 · 41 页
権之助はつい近頃に前歯を一本欠いたので、激した叱咤につれてしきりに唾が飛ぶ、久之助はもう云い訳はやめて、
「まことに相済みませぬ」
と繰り返しあやまるだけに止めた。
夜の稽古を終ってからだった。
久之助はいちど寝所へはいったが、父の寝息を聞きすますと、足音を忍ばせてそっと住居をぬけだした。
戸外は新秋のすばらしい月夜で、街ぜんたいが水の中にでも沈んでいるようにみえる、かれはその白じらと青い光りを浴びながら、大手筋にある梶岡伊織の屋敷をおとずれた。
「かような時刻にご迷惑ですが、御滞在の淵田主税助どのにお取次ぎをねがいます」
門番にそう案内を乞うた。
「……今宵のうちにぜひ伺いたいことがあるからとお伝え下さい」
「その客はもうお立ちになりました」
門番は気のどくそうに答えた。
「……酔ってもいたのでしょう、なにか気にいらぬことがあるとみえ、お止め申すのをふり切って、つい半刻ほどまえにお立ちなされました」
「どの道をまいられたかわかるまいか」
「草生津の渡しを訊いておいでだったと思います」
「……それは残念な」
久之助は門番に聞えるように、
「では帰るとしよう」
と呟き、梶岡の門を離れると同時に急ぎだした。