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にんげんひょう

人間豹

江戸川 乱歩

「講談倶楽部」大日本雄辯會講談社、1934(昭和9)年1~2月、5月~1935(昭和10)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 155,989 字 · 311 页

青空文庫

いかにも、熊の喉からは一滴の血も流れてはいなかった。虎の牙は月の輪のあたりに食い込んで、首を振るたびごとに、そこの皮がメリメリと裂けてゆくのがハッキリ見えているのに、血の流れ出すけはいさえないのは、実に不思議というほかはなかった。あれは剥製の熊だったのかしら、いやいやそんなはずはない。剥製の動物があんなにもがいたり、逃げまわったりできるものか。

だが不思議はそれにとどまらなかった。やがて、前列の見物たちのあいだに異様などよめきが起こった。大熊の喉のあたりに集中された百千の眼が、物狂おしいギラギラした光を放ちはじめた。誰も彼も気が狂いそうであった。恐ろしい悪夢にうなされているような、なんとも形容できない戦慄に襲われた。

「なんでしょう? え? あれはいったいなんでしょう?」

最前列の商人ていの男が隣の青年にしがみつくようにしてワナワナ震えながら口走った。そこにも、ここにも、ゾッとするつぶやきが湧き起こった。

見よ、熊の喉のあたり、するどい牙に引き裂かれた表皮は虎の顎の後退につれて、メリメリとめくれ上がって行ったではないか。しかも、一滴の血が流れるでもなく、赤い肉が現われるでもなく、その下からは意外ともなんとも、まっ白な、いや、むしろ蒼白な、何かスベスベしたものが、一寸一寸と、見物の眼に暴露されてきたではない