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のぶこ

伸子

宮本 百合子

「改造」1924(大正13)年9月号~1926(大正15)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 232,543 字 · 466 页

青空文庫

彼の癖であった。彼はしきりに伸子の机の方へ目をやった。

「近頃なにかお書きですか」

「何にも――あなたは? おいそがしいの」

「下らないことにいつも追いまわされてね、どうも」

「翻訳――面白いものをしていらっしゃる?」

「――別に、大して面白いって云うものでもありません。……そりゃあ、ただ読んでいりゃ面白くも楽しくもあるけれど、訳さなくちゃあならないとなると、ぞっとしませんね」

彼の体格に比べると、どこやら弱い笑声を立てた。

「今、なに」

「即興詩人です……私は、あれの原本を、第一版で持っているんだが……面倒くさいんでね、独逸語のと対照してやっています……」

「あの人の自叙伝と云うの――面白いでしょうね、およみになって?」

「ああ、――何とか云うのがありましたね」

彼は傍机に、丸善の包紙のまま、一冊の本が載っているのを見つけた。

「何です、あれは」

伸子は笑った。

「目が早いのね」

雑談の末、彼は、

「どうです、家をお持ちなさると、仕事をするのがなかなか困難でしょう」

と云い出した。

「――男のひとは、どう?」

「さあ、どうだかな、私は経験がないからわかりませんね、だが――もちろん負担が殖える点はわるいが、概して落着けるらしいですね」