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のぶこ

伸子

宮本 百合子

「改造」1924(大正13)年9月号~1926(大正15)年9月号

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 232,543 字 · 466 页

青空文庫

佃もここへ来た。

伸子は、毎朝のことだが一種速まる鼓動を感じつつ、大衝立で通り路から遮られた一つの机に近よった。佃はもう自分の講義に出て行った後であった。机の上に見馴れた彼の黒革鞄が遺してある。伸子は、彼が後程再びここへ来る積りでいることを理解した。伸子は小説を読みはじめた。

数頁読み進んだ時、衝立の外に軽い女の跫音が止った。

「おや――ここだったの」

伸子は驚いて頭を挙げた。帽子も外套も黒ずくめで、皮膚の美しい顔がなお引き立って見える珠子がそこに立っていた。

「まあよくわかったこと! さあ」

伸子は中西の両手を執って、自分の隣りにかけさせた。

「いつ帰っていらしったの」

「昨晩、十一時過に」

互に顔を見合せ何となし彼女らはにこついた。

「どうだって?」

珠子は一週間ばかり前から、ボストンの許婚のところへ行っていたのであった。

「ようござんしたよ、ここから行くとそりゃあ静かね、宿でも気持がよかったわ、落着いていて……」

「御丈夫?」

「有難う、元気だったわ」

珠子は、冷たい外気に触れて来たばかりの活々した顔に新鮮な歓びを輝かせながら、持前のうちあけた親密な態度で云った。