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ぜんのけんきゅう

善の研究

西田 幾多郎

「善の研究」弘道館、1911(明治44)年2月6日発行

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 123,777 字 · 243 页

青空文庫

善行為とは凡て自己の内面的必然より起る行為でなければならぬ。曩にもいったように、我々の全人格の要求は我々が未だ思慮分別せざる直接経験の状態においてのみ自覚することができる。人格とはかかる場合において心の奥底より現われ来って、徐に全心を包容する一種の内面的要求の声である。人格其者を目的とする善行とは斯の如き要求に従った行為でなければならぬ。これに背けば自己の人格を否定した者である。至誠とは善行に欠くべからざる要件である。キリストも天真爛漫嬰児の如き者のみ天国に入るを得るといわれた。至誠の善なるのは、これより生ずる結果の為に善なるのでない、それ自身において善なるのである。人を欺くのが悪であるというは、これより起る結果に由るよりも、むしろ自己を欺き自己の人格を否定するの故である。

自己の内面的必然とか天真の要求とかいうのは往々誤解を免れない。或人は放縦無頼社会の規律を顧みず自己の情欲を検束せぬのが天真であると考えておる。しかし人格の内面的必然即ち至誠というのは知情意合一の上の要求である。知識の判断、人情の要求に反して単に盲目的衝動に従うの謂ではない。自己の知を尽し情を尽した上において始めて真の人格的要求即ち至誠が現われてくるのである。