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しっちょうき
失蝶記
山本 周五郎
「別冊文藝春秋」文藝春秋新社、1959(昭和34)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,072 字 · 44 页
どうしても他に手段がないとしても、いまはまだそのときではない、と私はきびしく云いなだめました。――そんなことのあったあとで、あの日は滝に打たれながら、いつものように気分がおちつかず、杉永が思い止ってくれたかどうか、杉永が思い止っても同志の者たちはどうか、承服しない者があって無謀なまねをやりはしないか、などと繰り返し考えていました。
滝をあがったのはいつもより早かったでしょう、着物を着、袴をはき、両刀を差すと、急に胸騒ぎがするように感じました。たぶん同じ問題を考え続けていたため、気持が不吉なことのほうへ傾いたのでしょう。自分では否定しながら、なにか事が起こったような、不安な思いにかられて、ついいそぎ足になっていました。すると、ちょうど明神の下あたりへ来たとき、うしろへなにかが襲いかかるのを感じました。人の出て来る筈はないので、それはわかっていながら、そんな気分でいたからでしょう、われ知らず刀を抜いて、抜き打ちにうしろをひっ払い、大きく三歩とんで振返りました。
刀に軽い手ごたえがあったので、刀を構えながら振返ると、女持ちの扇が二つに切られて、ひらっと地面に落ちるところでした。