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しっちょうき

失蝶記

山本 周五郎

「別冊文藝春秋」文藝春秋新社、1959(昭和34)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 22,072 字 · 44 页

青空文庫

ちょうど妹が食事の膳立てをしているところでしたが、私は妹を去らせ、食膳を押しやって筆談の用意をすると、梓は「まず食事を済ませて下さい」と書いてみせました。それで私は膳に向ったのですが、梓の顔色で、これは真壁の件だな、と直感しました。食事をしているあいだ、梓はしきりになにか書いてい、私が膳を片づけてから、梓と自分に茶を淹れて坐ると、書いたものを私に渡しました。思ったとおり真壁綱のことです。

「真壁はあなたに任せると、一同の意見がきまりました」とそれには書いてあった、「――彼は今夕六時から、西山の隈川別墅で仙台藩の者と密会します、あまりに早急であなたには不都合かもしれません、しかし密会には供を伴れず、一人でゆくということですから、やるとすれば絶好の機会ですが、やるやらぬはもちろんあなたしだいです」

私は読み終ってから梓を見ました、「隈川さんは変節したのか」

隈川兵庫は老臣の中でも、われわれが頼みにしていいと信じていた一人なので、私にはちょっと不審に思えたのです。

「そうではありません」と梓は書きました、「西山の別墅はずっと留守で、家僕のほかに人はいません、真壁はそこを覘ったのでしょう、隈川別墅ならわれわれの監視もあるまい、そういう肚ではないかと思います」