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しんしょたいこうき
新書太閤記
吉川 英治
09 第九分冊
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 187,757 字 · 375 页
そして主軍秀吉が、佐和山に着いたのは、三月十五日。――十六日には、長浜に移り、翌十七日には、すでに湖岸の道を蜿蜒と北江州へ前進してゆく金瓢の馬簾や夥しい旌旗の中に、馬上、春風に面をなぶらせて行く彼のすがたが見られた。
国境、柳ヶ瀬方面の山々には、まだ鮮やかな雪の襞が望まれた。そこを越えて、北の国から湖へ落ちてくる風はまだ武者輩の鼻を赤めさすほど冷たかった。
たそがれ、柳ヶ瀬附近に着くとすぐ、全軍は黒々と布陣の位置に別れ出した。すでにこの辺へ来ると、何となく、敵臭いものが感じられる。そのくせ敵の姿も、立てる煙の一すじも見えないが、
「天神山の裾。椿坂。あのあたりには、柴田の先鋒がだいぶおる。木之本、今市、坂口辺にも、大部隊が駐まりおると申す。眠るにも油断をすまいぞ」
組々の将は、そういって、寸前にある見えぬ敵を、兵のために、指さしていた。
が、夜霞は白く曳いて、戦いのある世とも思えぬほど、静かな春の夜に入っていた。
パチパチパチパチと、どこかで銃声がし始める。途絶えてはまた聞える。
そのすべてが羽柴勢から撃つ音ばかりで、敵は眠っているのか、終夜、遂に一発の音もなかった。