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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

09 第九分冊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 187,757 字 · 375 页

青空文庫

松村友十郎だけが、幕裾にひざまずいた。そして物見を報じていう。

「岩崎山には、早や敵の一兵もおりませぬ。万一、旗をかくして、埋伏の計もやあると、入念に見ましたが、守将高山右近長房以下悉く、一刻半ほど前に、田上山(羽柴秀長の陣地)のふもと辺りまで、遠く退却いたしたようにござりまする」

玄蕃允は手を打って、

「逃げおッたか」

と、哄笑し、幕僚たちを顧みて、重ねて、

「――右近は逃げたと申すよ。迅い奴かな。わはははは」

と、全身を揺すって笑った。

祝盃の余酔がまだ醒めきっていないらしい。玄蕃允は、なお笑いやまず、

「むかし富士川に平家あり。今日、岩崎山に高山右近あり。いやはや、とんだ道化者よ。武門の生れぞこないよ。嘲うても嘲いきれぬ」

このとき、さきに狐塚の柴田勝家の本陣へ、戦捷報告にやった使いが、勝家の旨を帯びて帰って来た。

「使番。――戻ったか」

「は。ただ今、帰陣いたしました」

「御本陣狐塚の方面には、敵のうごきはないか」

「別条もない由にござりました。お館にもいとお気色ようて」

「さぞ、およろこびなされたであろうな」

「さればで――」

使番は、玄蕃允のたたみかけるような問いに、汗を拭うひまもなく答えつづけた。