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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

09 第九分冊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 187,757 字 · 375 页

青空文庫

が、ここの心事は。――越前から柳ヶ瀬を越えて出た柴田勝家のそれとは大いに違う。

すでに秀吉軍が山崎に到る――と聞いても、家康は、秀吉のひの字も口にせず、そうか、と頷いたのみで、

「領内は静かなようだな」

と、あっさり浜松へ引揚げてしまったのである。

もとより彼は、信長の遺臣らと同列に自分を置いていない。織田家の客分であるのだ。柴田、羽柴の徒は信長の一部将に過ぎない。何で彼ら遺臣間の乱後の乱に立ち入って、余燼の拾得を争おうや――という襟度があった。それとまた、彼にはもっと実質的な「この際になすべき事が」一方にあった。

参遠駿の自領に接続している甲信二州への版図拡張は、長いあいだ彼の虎視眈々のものであった。これは、信長という者が生きているあいだは、手の出せないものであったし、今後も中央の定まる日となっては、機会がないかも知れないのである。

この絶好な機会へ、家康の意が向いたやさきへ、愚かにも、その虎視へ道を拓いて与えた者こそ、相州小田原の北条新九郎氏直だった。

氏直もまた、本能寺の変を機会に「この際」と動き出した一人である。北条勢の五万という大軍は諸所から境を切って信州へ入った。