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もみノきはのこった

樅ノ木は残った

山本 周五郎

01 第一部

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 148,519 字 · 296 页

青空文庫

「ひとり口では申し上げられないことでしたし、また船岡どのもまだ知らない、新たな秘事がわかったのです」

「話しを聞こう」

安芸はそう云って、盃を膳に置いた。

「五日まえのことです」と周防が云った、「久世侯、御存じでしょうか、将軍家側衆のひとりで、大和守広之と申され、綱宗さま御家督のときから、いろいろ便宜をはからって下さるのですが」

「そのことは聞いている」

「堀普請が始まって以来も、たびたび御周旋を願うことがございました」と周防は云った、「その久世侯から五日まえに、夜ぶんに忍びでまいれという使いがあったのです、その日はおりあしく、築き立てた堀堤が崩れまして、補強工事のため手があきません、それで夜が明けてからまいったのですが」

「久世邸は近いのか」

「西丸下にあります」と周防が云った、「時刻はずれでしたが、すぐに会うとのことで、そのまま寝所へとおされました」

「――寝所へとな」

「密談のためだったのです」と周防は云った。

甲斐はしずかに、扇子で蚊を追った。酒肴の膳があるためか、ひどく蚊が多かった。安芸や周防は扇子を使わなかった。二人は話しの重大さに気をとられて、うるさいほどの蚊にも気づかないようすであった。