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あさくさふどき

浅草風土記

久保田 万太郎

雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页

青空文庫

――その時分わたしは、落語も講釈も義太夫も、すべてそうしたものの分らない低俗な手合のみの止むをえず聞くのが浪花ぶしだとおもっていた。そう思ってあたまからわたしは馬鹿にしていた。――ということはいまでも決してそうでないとはいわない……

(ついでながら、わたしの始終好きでかよった寄席は「並木亭」と「大金亭」だった。ともに並木通りにあって色もの専門だった。――色もの以外、講釈だの浄瑠璃だのとはごくまれにしか足ぶみしなかったわたしは、だから、吾妻橋のそばの「東橋亭」、雷門の近くにあった「山広亭」、「恵比寿亭」、そうした寄席にこれという特別の親しさをもっていなかった――が「山広亭」、「恵比寿亭」とおなじく、いまはもう「大金亭」も「並木亭」も、うちよせた「時代」の波のかなたにいつとはなしすがたを消した。残っているのは「東橋亭」だけである。)

いまでこそ「聚楽」をはじめ「三角」あり、「金ずし」あり、「吉野ずし」あり、ざったないろいろの飲食の場所をそこがもっているが、嘗ては、はえないしもたやばかりの立並んだ間に、ところどころうろぬきに、小さな、さびしい商人店――例えば化粧品屋だの印判屋だのの挟まった……といった感じの空な往来だった。