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あさくさふどき
浅草風土記
久保田 万太郎
雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页
泥臭く、緞帳臭かった。――それがまた公園に人気のある所以でもあった。
岡本貞次郎は、うすあばたのある、三尺ものの巧い役者だった。――この役者、後に、奨励会というものが解散してから、暫くして、そのころはやりかけた活動写真のなかに入り、実物応用というものをはじめた。わたしの記憶にもしあやまりがないならば、役者にして、活動小屋に関係を持った、それがそもそもの人間だった。
亀井鉄骨は老役を大専にした。相手を、始終、ねめつけるように据えた両方の眼が、かれを、敵役にもした。――皺枯れた、浪花ぶし語りのような調子の持主だった。
西川秀之助は河合型の女形だった。色っぽい、sensual な感じを、顔のうちに、体のうちに持っていた。だが、河合君のことにすると、河合君の持っているような聡明さがなく、その代りに、河合君よりも、もっと、頽廃した、ぐうたらな味を持っていた。み方によると、それが、寂しい味にもなった。
高松琴哉は、やさがたの、鈴のような眼を持った女形だった。内輪な、控え目な、つねに敵役によって苦しめられる不仕合なお嬢さんや若い細君がその役所だった。――強いていえば、木下と村田式部とを搗きまぜ、それに花柳の味を加えたような役者だった。