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あさくさふどき
浅草風土記
久保田 万太郎
雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页
――すなわち、わたしは、陳なにがしという支那料理屋をそこへ書きこんだ。
半月ばかりまえ、久しぶりでそこを通ったとき、わたしは、なおその支那人の耳掃除の仕事をつづけているのをゆくりなく発見した。
わたしは涙ぐましさを感じた。
鯛煎餅のあとに出来たのが日本館である。
*
その浅倉屋の路次、十四五年まえまでは、さびしい、補綴をしたような路次だった。
道幅がせまく、しばらくは、両側に、浅倉屋の台所口と尾張屋という蕎麦屋の台所口とがつづき、その尽きたところに、右には同じく浅倉屋の土蔵、左には女髪結のうちがあった。――その女髪結のうちの前に灰汁桶の置かれてあったことを不思議に覚えている。
土蔵の隣に、間口の広い、がさつな格子の嵌った平家があった。そこには出羽作という浅草でのばくちうちが住んでいた。――三下が、始終、格子を拭いたり、水口で洗いものをしたりしていた。
道をへだてて井戸があり、その井戸のそばに、屋根を茅で葺いた庵室のようなものがあった。露の宿という言葉を思わせる草深さがあった。――横山町のある大きな小間物屋の隠居が余生をそこに送っていた。
その隠居、小柄な、尼のような感じを持ったおじいさんだった。