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あさくさふどき

浅草風土記

久保田 万太郎

雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页

青空文庫

――その障子をあけたすぐのところが天井の低い六畳の座敷になっていて、そこに細長い、張板をわたしたような机が三方に用意されてあった。午後から夜にかけて、すくないときで十四五人、多いときでその倍の人数が、のべたらに、いれかわり立ちかわりそのまえにすわった。――勿論われわれのような小学生ばかりでなく、むしろ半分は中学や実業学校へかよっている学生たち、まれに田町あるいは馬道あたりのあきんどやの前垂がけの若い番頭たちさえその中にまじっていた。

その机のまえにすわった先生の恰好もはッきりわたしはおぼえている。学校でのきゅうくつな洋服をぬいだ先生は、ボタンで手首を止めるシャツにもめんのごつごつした縞の着物、おなじく白いもめんの兵児帯をきちんとうしろで書生のように結んでいた。そうしてそう和服形になっても、ごまかしのきかない先生、油断の出来ない先生、だらしのないことの大嫌いな先生、という感じは決してわれわれのまえから消えなかった。学校でみるとすこしも違わない、剛毅そのもの、果断そのもののように、ずんずんとそれぞれの、あるいは日本外史を、あるいは方丈記を、あるいはナショナルリーダーを、明快に、敏捷に、そうして親切に片附けて行った。