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あさくさふどき
浅草風土記
久保田 万太郎
雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页
そして、暑さに怯げない人々は……というよりも、暑さがつのれば募るほど、逆に、よけい意地になり、いろいろ嵩にかかって来る人出は、仲見世に、仁王門に、本堂の階段にあふれた。……となると、たまたまうかんだ空の雲よりも、すでに参詣をすました人たちの、手にもち、髪に挿した雷除けのお札のほうが、より白く、より美しく輝いた。
浅草馬道の小学校は、この日をもって一学期の試験を了った。
ということは、その晴れぬいた真っ青な空の下に、暑中休暇が来たということの、だから四万六千日と聞くと、人こそ知らね、いまでもわたくしは子供の時分のそのよろこびをおもいうかべることが出来る……。
が、暑中休暇が来たとて、わたくしは……わたくしばかりでなく、その界隈の子供たちは、だれも別段、山へ行くわけでもなければ、海へ行くわけでもなかった。かれらの生れ在所は揃ってみんな東京だった、従って、かれらにとっても、また、わたくしにとっても、一ト月あまり、ただ学校が休みというだけのものだった。でも、かれらの大ていは、日課として、向島の水練場へ泳ぎをならいにかよった。だから、まだ、いくらかでも凌ぎがついた。