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あさくさふどき
浅草風土記
久保田 万太郎
雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页
かげのしめやかさ――といったらいいか、つつましさ、といったらいいか?――とだけだった。
銀行といえば、並木通りの浅草銀行、西洋料理屋といえば、同じく並木通りの芳梅亭があったばかりの、そのあたりに住みついた人たちには、そうした「開けた」もの、進歩的なものの存在は必要でなかったのである。鉄道馬車のいよいよ電車に切りかえられると聞いたとき、いかにして疾走して来るそれを突ッ切るべきか、小学生だったわれわれは、学校の往復に、ただそればかりを研究した。それほど、われわれは、まだみぬ電車の速力を怖れたのだが、その無知さ加減を一層はッきりさせるもう一つの証拠を提示するならば、矢っ張、そのころ、そのあたりでの、大きな、繁昌する氷店の花屋で、はじめてアイスクリームを売出したとき、誰がそんな高いものを飲むものかと、氷あずきだの、氷白玉だの、氷いちごだのの匙を鳴らしながら、ことさらな反感をそれに対してもった。それほど、アイスクリームは、われわれにとって珍奇だったのである。
「お待たせいたしました。」
と、このとき、註文したチーズトーストの皿がわたしのまえに運ばれた。わたしは、やや冷めたホットレモンのタンブラーを取上げて、今度は、「娯楽クーポン附大売出し」