轻松读懂日语经典作品
ja-reading.com
轻松读懂日语,轻松阅读日语。在线阅读日语经典作品。支持在阅读过程中显示假名、查询生词、翻译句子。
あさくさふどき
浅草風土記
久保田 万太郎
雷門以北「東京日日新聞 夕刊」1927(昭和2)年6月30日~7月16日<br>吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年2月<br>続吉原付近「中央公論」1929(昭和4)年3月<br>隅田川両岸「中央公論」1935(昭和10)年9月<br>浅草田原町「三田文學」1912(明治45)年2月<br>あやめ団子「花形」1920(大正9)年8月<br>相模屋の路次・浅倉屋の路次「新演藝」1920(大正9)年8月<br>浅草の喰べもの「中央公論 夏期特別號」1920(大正9)年7月<br>夏と町々「時事新報 夕刊」1929(昭和4)年6月1日~30日<br>絵空事「新潮」1932(昭和7)年3月<br>一年「東京新聞」1946(昭和21)年4月15日<br>浅草よ、しずかに眠れ「苦樂」1948(昭和23)年2月<br>夜店ばなし「婦人公論」1931(昭和6)年7月<br>除夜「週刊朝日」1930(昭和5)年12月28日號<br>正月「婦人公論」1932(昭和7)年1月<br>水の匂「文藝春秋」1941(昭和16)年7月<br>町々…… 人々……「別冊文藝春秋」1955(昭和30)年2月~6月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 162,294 字 · 318 页
をさがした。が、「三百五十七番地」はあったが「三百五十八番地」はなかった。可笑しいと思ったがとにかく「……五十七番地」まで行ってみることにした。――すなわちその掲示板の命ずるところによってその角を左折した。
が、いくらさがしても「……五十八番地」はみつからなかった。訊いても分らなかった。「……五十七番地」はその店たった一けんの小さな自転車屋へ入って訊いてもそんな番地は聞いたこともないという膠もない返事だった。
「いいえ、こんな横町じゃなかった」
そのとき先生はいわれた。「とにかく真っ直の通りだった」
何分古い事なのに先生も大事をとられたのである。大事をとられてまず番地にたよられたのである。が、よく読めば、げんに、その真筆版『たけくらべ』の跋のあとのほうにでも「吉原遊廓の北面の西端は揚屋町の非常門である。その非常門のところから、西へ、即ち上野の方へ向けて大凡一町位来てからの右側の家であった。」と、先生、はッきりそう書いていられる。――そこでまたわたしたちはもとの往来へ出、改めてその往来の突きあたりの揚屋町裏の非常門のまえに立った。そうしてそこを起点として、西へ、先生の記憶をたどりつつ幾たびかその往来を行ったり来たりした。