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げんだいゆいぶつろんこうわ
現代唯物論講話
戸坂 潤
「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页
一方に於て観察は、単なる観察と観測(観察+測定)とに分れ、他方に於て之とは独立に、実験と実験でない場合との区別を立てる。同じ観察や観測でも実験である場合とない場合とがあるわけだ。之に対して私が「観察が発達すれば観測となり、やがて又測定となり、そして最もプロパーな意味での所謂実験となる」と云ったのは、確かに秩序的でない事を認めなければならぬだろう。「やがて又測定となり」という句は「観測となり」云々の処に含めるべきで、「最もプロパーな意味での所謂実験」とはM・プランクなどが測定される量だけが物理学的実存だと主張するような場合の実験にだけ、実験を限定しすぎた結果であるが、之を許せば観察の発達段階の説明としてはあれで大体いいわけだけれども、実験でない観察や観測を考え得るためには、実験をば「プロパーな所謂実験」から少なくとも博士流の処にまで、拡げて理解した方が都合がよい。
では実験とは何か。博士によると実験とは「人為的操作を対象に加えた上での観察や観測」だという。この規定も一応承認すべきだろう。なぜというに対象に人為的操作を加えるということが、実験というものに就いての常識だからである。