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げんだいゆいぶつろんこうわ
現代唯物論講話
戸坂 潤
「現代唯物論講話」白揚社、1936(昭和11)年12月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 251,295 字 · 490 页
点だ。道徳的実践の理想としての国家はかかる意味を有つべきものであって、夫が現実の国家とどういう具体的な実際関係にあるかは、問題ではない(民族に就いてもこの点変りはないのである)。実は博士の所謂国家は無的なものだ。というのは夫は現実に有る処の国家を理想へ向かって可動的にするために挿入せねばならぬ処の無的イデーなのである。だからつまり吾々の眼の前にある国家は、この吾々が知っている現実の「国家としての国家」に他ならないのである。マニフェストの著者が「国家としての国家」と云ったのは無論イデー的乃至無的な菩薩国のことでなくて、イギリスやフランスやドイツのことだった。処で博士は之を道徳的に(社会主義的にでなく)改善するために、無的イデーとしての国家という脂肪層の上に少しばかり之を浮せて見るに他ならない。国家は改善されるべきである。但しあくまで国家として。之が博士にとっての国家としての国家なのである。
この論理的な無的イデーとしての国家の内に、博士は社会存在に就いての一切の希望を投げ入れ、そして之をそこに集結しようと欲する。云うまでもなくこの希望の投げ入れ方は極めて整然として説得的なのだ。