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かがりびのおんな

篝火の女

吉川 英治

「キング」大日本雄辯會講談社、1935(昭和10)年8月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,727 字 · 56 页

青空文庫

『では、無理ではあろうが、お前の家には、その手形があるでしょう。それを私に譲って下さい』

必死な光をたたえた八雲の眸である。

丑蔵は、考え込んでいたが、

『よろしゅうございます、永年の御恩返し――』

と、重くうなずいて、

『実は、こんどの御合戦に、わしも小荷駄の軍夫に召募れて行くことになりましたから、その手形を失っては、組頭に云い開きが立たねえが、なあに、間違ったら、この首をやると思えば大した事はない。お待ちなさいまし』

と、懐中から小荷駄奉行の焼印が捺してある小形な木製の鑑札を出してそこへ置いた。

『ありがとう、この恩は忘れませぬぞ』

押しいただいて、八雲は、もう起ちかけるのであった。

『――だが、お前の首にかかわるような事があってはならないから、私が、舟橋を渡ったら、河向うにある地蔵堂の絵馬額の裏へ、この手形を返しておく故、誰か、そなたを裏切らぬ友達にたのんで、そっと取って来てもらえば無事に済むでしょう』

『なる程、それはよい思案だ。――だが、舟橋の関所で、見破られないようにしておくんなさい』

丑蔵は、彼女に蓑を着せかけながら云った。大丈夫――と答えはしたけれど、八雲はそこが生死の境であることを覚悟していた。