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かがりびのおんな
篝火の女
吉川 英治
「キング」大日本雄辯會講談社、1935(昭和10)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,727 字 · 56 页
と振向いて――『貴様は、筏方の丑蔵じゃないか』
『へい』
『何か用か』
『ちょっと、お顔を拝借したいんで』
『俺に?』
と、魚住十介は、そこから出て来た。丑蔵は息を弾ませながら、東郷五郎左衛門の娘が、自分の鑑札を持ってここを通る筈だから捕まえてもらいたいと密告した。
『いつ頃だ、それは』
『もう二刻ほどばかり前で』
『すると、宵の口じゃないか』
『へい』
『たわけ者が、今頃云って来て何になるっ』
十介は、嶮しい顔いろをして怒った。
この対岸にも、あした出陣する兵が千人以上も屯している。そこへの用を帯びて、すでに宵から幾人かの家中の女が舟橋を通っているから、その中には、詮議中の八雲が居たかも分らないのである。丑蔵の密告は、遅蒔だった。
『なんですぐ云って来なかったか。左様な事を申し立てるが、実は、肚をあわせて、逃がしたのだろう』
『ど、どういたしまして、遅くなったのは、女房の奴が、あっしの事を、恩知らずだの糸瓜だのと、逆らいだてして狂うので、そいつを物置小屋へ叩っ込んで来るために手間どってしまったんで。――忌々しい畜生だ』
『しかし、捨てては措けん』
魚住十介は、番小屋の番士たちへ、早口に仔細を告げていた。