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かがりびのおんな
篝火の女
吉川 英治
「キング」大日本雄辯會講談社、1935(昭和10)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 27,727 字 · 56 页
『えっ、安中城を』
『そうさ。たいそう吃驚しなさるね、何か、おめえの色男でも、安中城にいるのかい』
『い……いいえ……そんな訳じゃありませんけれど』
萩乃はあわてて田舎言葉も出なかった。
餅を食べ終ると、外郎売は
『どれ、俺も、稼ぎに御出陣としよう』
大股に歩みかけたが、ふと、足をとめて、笠のつばに手をやりながら、
『おや、ここの陣所だけは、後詰でうごくめえと思ったら、これやあいけねえ、此っ方まで戦が拡がって来やがった。今夜あたり、敵が、襲せてくるか、此っ方から出てゆくらしいぞ』
独り語にしては、大きな声だ。外郎売は、そういうと、道を更えて立ち去った。
『――今夜あたり? ……。ほんとかしら』
萩乃は、胸を躍らせた。――安中勢の迎えかも知れない。だが、それも八雲様が居なければ何になろうか。
真っ赤に灼けた陽が、夏草の蔭に沈んだ。
宵は、風も月もなかったが、やがて二更の頃になると、わあっと、鬨の声が、野や畑をゆるがした。
萩乃は、利根川の堤へ、駈けて上ってみた。
北条方では、かねて今夜の襲撃を、知っていたものとみえ、
『安中勢だ、蹴ちらせ』
堤の蔭から、雲のように、兵馬や薙刀の光や、槍や太刀が、躍り越え躍り越えして、どっと、河にかかった。