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ちのもじ
血の文字
黒岩 涙香
「綾にしき」1892(明治25)年8月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 44,021 字 · 87 页
実に然り、彼の老人が殺されし家の店番の証言にては藻西太郎が九時頃に老人の室に来り十二時頃まで老人と話して帰りたりとの事なれば、若し藻西が十一時前後頃に其職人と一緒に居たりとの事分らば、老人の許を問いしは藻西太郎に非ずして藻西に似たる別人なること明かなれば、老人を殺せしも矢張其別人にして藻西の無罪は明白に分り来らん、目科が念を推す言葉に倉子は却て落胆し「さア夫が分らぬから運の尽だと申すのです目「え、え、夫が分らぬとは、又何う云う訳で倉「生憎其職人が内に居なくて所天は逢ずに帰ッて参りました」目科も失望せしと見え急しく煙草を嚊ぐ真似して其色を隠し「成るほど夫は不運ですね、でも其家の店番か誰かゞ貴方の所天を認めたでしょう倉「夫が店番の有る様な家では無いのです。自分の留守には戸を〆て置くほどの暮しですから」ああ読者よ、如何にも是は運の尽なり、実際には随分あり勝の事柄なれど、裁判の証拠には成難し、証拠と為らざるのみならで若し裁判官に此事を聞せては却て益々疑わしと云い藻西太郎に罪のある証拠に数えん、之を思えば藻西太郎が、直に自ら白状したるも之が為に非ざるか、有の儘を言立たりとて不運に不運の重なりし事なれば信ぜらるゝ筈は無く却ッて人を殺せし上裁判官をまで欺く