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しほんたいへいき
私本太平記(三)
吉川 英治
Read 私本太平記(三) (しほんたいへいき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 222,108 characters · 446 screens
「……どうだろう、明日の海上の風向きは」
船出は高砂ノ湊の予定である。船検分などおえて、長井将監高広は、宿へ戻りかけていた。
長井将監は、都でもずっと自邸に宮の身をお預かりしていた者であり、かつまた、これから宮の遠流先――讃岐ノ国詫間の配所――までつつがなく送って行かねばならぬ重任を持つ身だった。
「いや大丈夫です。風もこのていどなら」
兵のことばに、将監は空へ面を上げた。三月十二日の月だが、月は乱れ雲にみだれて、月のかたちもない。
「……おれにも子はあるのに」
将監はふとそんな感を持った。何かしらいやな晩だった。はやく夜が明け、そして早く海上へ出てしまいたい気がする。
「や。……また遊女どもが来ておるな。追っ払え、追っ払え」
将監はわざと物々しく宿営の近所でどなッた。
宿々では夜の女が、防ぎようもないほど、夜ごと、幕営へ色をひさぎに来るが、今夜はかたく戒めなければならないと思う。なんとなれば、この播磨、備前などは、笠置に火の手が揚ッたさい、宮方加担の色をみせた武族がかなりあった地方なのだ。
天皇奪回も戒心を要するが、この道中では、皇子奪回の挙もありえなくはない。