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しほんたいへいき

私本太平記(三)

吉川 英治

Read 私本太平記(三) (しほんたいへいき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.

N2 · advanced · modern kanji and kana · 222,108 characters · 446 screens

Aozora Bunko

天王寺未来記

はじめ六波羅では、

「天王寺界隈に不穏なきざしが見える」

と、聞いても、さしてはと、多寡をくくっていた。が、やがては、

「楠木が張本らしい」

と知るにおよんで、一驚を喫したらしい。はやくも巷では、

「楠木が都へ攻め入ってくる」

などという声まで真らしく立って来たからだった。

追討の大将は、高橋三河守時英と、紀伊の隅田藤内左衛門で、ふたりが大江の北に陣をすすめた次の日、さらに在京の篝屋武士千余騎が、追っかけの加勢として、両将の下に加わっていた。

大江は、名にしおう難波の大河で、そのころ、河幅二百六十間といわれ、良暹法師の旅の歌にも、

渡の辺や

大江の岸に宿りして

雲井にみゆる

生駒山かな

の写生があるし「堀川百首」には――五月雨は日数ふれども渡の辺の、大江の岸は浸さざりけり――などの景観も見える。

おそらく、ここの渡辺橋というのも、当時の大橋でこそあれ、こころぼそい板を敷きならべた破れ橋であったに過ぎまい。

「うかと、こえるな」

隅田、高橋の二将は、味方の大軍にほこらなかった。敵を見くびらなかった。というよりも、時は五月の雨期である。大江の水かさと、あやうげな渡辺の大橋を惧れたものに違いあるまい。