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しほんたいへいき
私本太平記(三)
吉川 英治
Read 私本太平記(三) (しほんたいへいき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 222,108 characters · 446 screens
すぐ裏へ廻ってみると、果たして、亭のうちは狼藉だった。破られた妻戸が欄に仆れかかり、上着やら帯やら、女のものが、室内から縁へかけて乱れていた。
「殿っ……。殿。何事かこれにございましたか」
すると、暗い中で、道誉が、ものうげに言っていた。
「主膳か。……眠たい。母屋の寝所へ行って寝るぞ。こんな物、取り片づけておけ」
キラと、室内から氷の欠けみたいな物が、主膳の足もとへ飛んで来た。
主膳が拾い上げてみると、それは鞘のない懐剣だった。女の護身のそれも、無念そうに、ただ白い刃のままだった。
つづいてまた、道誉の声で、
「……塀は高い、門には寝ずの番がおる。藤夜叉も朝になれば、庭のどこからか、泣き顔を拭って姿を見せるにちがいないのだ。そしたら、そちがまた、ようなだめて、こんどは本当に三河まで送ってやれい。もう用事はすんだ。明朝は、あいさつにも及ばぬぞ」
そう聞えたと思うと、道誉はもう、離亭を後ろに、母屋の方へ渡っていた。
自分はなかった。ただ生きようか死のうかと、闇のかぎりを、走りつづけている息のくるしさだけがある。
だからこそ、あの佐女牛の邸の高塀もやすやす越えられて来たのだろう。