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しほんたいへいき
私本太平記(三)
吉川 英治
Read 私本太平記(三) (しほんたいへいき) by 吉川 英治 (よしかわえいじ) in Japanese with furigana. JLPT N2. Tap a word for the meaning.
N2 · advanced · modern kanji and kana · 222,108 characters · 446 screens
――あとで勾践が魚を割いてみると、なつかしや范蠡の筆である。主君よ、范蠡がおります、どんな辱に耐えても死に給うな、としてあった。
やがて時節は来て、勾践はもう叛く力もない者とみられ、ゆるされて越の国へ還された。が、そのためには、最愛な美女西施を呉王へ献じなければならなかったが、范蠡は主君をいさめて、あえてその愛人西施をすら敵の呉宮へささげさせた。――そして呉王はこの天下第一の美人をえて大いに驕った。呉の良臣、伍子胥の諫言も耳に入れず、荒婬と、連日の宴舞に、国政もみだれ果てた。
ついに、待つ日は来たのである。
越軍二十万が、呉へ突入して来た。四隣の晋も楚も斉もいちどに起って、呉の領土を分け奪りにし、呉はついに亡んだ。――かくて越が積年の“会稽ノ辱”をすすぎえたのは、ひとえに勾践の下に、ただひとりの范蠡があったによる――と、漢土の史書は日本にまで彼の名とその忠節とをつたえていた。
「……それよ。その故事になぞらえて、何者かが、後醍醐のきみを勾践に、自分を范蠡に擬して、この桜樹の幹へ、心を託し去ったものにちがいない」
忠顕と行房は、眼と眼を見あわせた。が、武士どものてまえ、口には出さない。