Classiques japonais avec furigana
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げんだいやくろんご
現代訳論語
下村 湖人
Lisez 現代訳論語 (げんだいやくろんご) de 下村 湖人 (しもむらこじん) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 127 327 caractères · 256 écrans
一〇(四四四)
一一(四四五)
一二(四四六)
」
○ 一八章の「思無邪」という簡単な表現とあわせ読むと、孔子の詩に対して抱いていた考えが、ほぼつかめるような気がする。
○ 原文「可以怨」は、くだいていうと、「怨むにも詩にあらわれているような怨み方なら罪がない、怨みごとをいうなら詩に学べ」といつたような意味である。
一〇(四四四)
先師が子息の伯魚にいわれた。
「お前は周南・召南の詩を研究して見たのか。この二つの詩がわからなければ、人間も土塀に鼻つきつけて立っているようなものだがな。」
○ 周南・召南==詩経の最初の篇が周南、その次の篇が召南で、共に十首の詩から成つており、修身斉家の道を歌つたものである。
一一(四四五)
先師がいわれた。――
「礼だ、礼だ、と大さわぎしているが、礼とはいったい儀式用の玉や帛のことだろうか。楽だ、楽だ、と大さわぎしているが、楽とはいったい鐘や太鼓のことだろうか。」
○ 玉・帛==儀式の時に諸侯その他が捧げもつもの。帛は絹製。
○ 本章はむろん礼楽の精神を忘れて、形式の末に走つているのをなげいた言葉である。
一二(四四六)
先師がいわれた。――
「見かけだけはいかにも厳めしくして、内心ぐにゃぐにゃしている人は、これを下層民の場合でいうと、壁をぶち破ったり、塀を乗りこえたりしながら、びくびくしている泥棒のようなものであろうか。