Classiques japonais avec furigana
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げんだいやくろんご
現代訳論語
下村 湖人
Lisez 現代訳論語 (げんだいやくろんご) de 下村 湖人 (しもむらこじん) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.
N2 · avancé · kanji et kana modernes · 127 327 caractères · 256 écrans
二〇(四五四)
と自ら慰めた、という説。
(四)「子貢よ、私などの言葉をきくより、この大自然を見よ。そこには人生一切の法則と教訓とが明白に示されている。この大自然を凝視する者にとつては言葉は無用だ。だから私は沈默したい。」と自分の心境の変化をもらした。という説。
以上のうち、(一)と(二)との説には相通ずるものがあり、また、(三)と(四)との間にも相通ずるものがある。そしてそのいずれが正しいかは容易に決しがたい。ただ私は、原文の全体の調子から見て、どちらかというと(三)と(四)に同意したい。(一)と(二)のような教訓と見るには、孔子の言葉に、あまりにも詩的な、また哲学的な響きがこもり過ぎているように思うのである。では、(三)と(四)のうち、いずれが正しいかというと、これも容易にはいいがたい。或は両者共に真実であり、(三)の歎息に出発して、おのずから(四)の心境を語ることになつたのではあるまいか。いずれにせよ、この章は、論語の中でも、最も響きの高い言葉の一つである。
二〇(四五四)
孺悲が先師に面会を求めた。先師は病気だといって会われなかったが、取次の人がそれをつたえるために部屋を出ると、すぐ瑟を取りあげ、歌をうたって、わざと孺悲にそれがきこえるようにされた。