Lecture japonaise

Classiques japonais avec furigana

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げんだいやくろんご

現代訳論語

下村 湖人

Lisez 現代訳論語 (げんだいやくろんご) de 下村 湖人 (しもむらこじん) en japonais avec furigana. JLPT N2. Touchez un mot pour le sens.

N2 · avancé · kanji et kana modernes · 127 327 caractères · 256 écrans

Aozora Bunko

三(四七四)

四(四七五)

」

三(四七四)

子夏の門人が人と交る道を子張にたずねた。子張がいった。――

「子夏は何といったのか。」

子夏の門人がこたえた。――

「為めになる人と交り、為めにならない人とは交るな、といわれました。」

子張がいった。――

「それは私の学んだこととはちがっている。君子は賢者を尊ぶと共に衆人を包容し、善人を称讃すると共に無能の人をあわれむ、と私はきいている。自分がもし大賢であるなら、誰と交ろうと平気だし、自分がもし賢くなければ、こちらが相手をきらうまえに、相手がこちらをきらうだろう。」

○ 二六八章において、孔子は子張を「行きすぎる」と評し、子夏を「行き足りない」と評している。本章の二人の言葉と対比して興味が深い。万事にひかえ目な子夏は、おそらく門人に、人と交る道を問われて、「交友の道」を説いたのであろうし、気の大きい、行き過ぎがちな子張は、「ひろく人と交る道」を説いたのであろう。

四(四七五)

子夏がいった。――

「一技一芸の小さな道にも、それぞれに意義はある。しかし、そうした道で遠大な人生の理想を行おうとすると、おそらく行き詰りが来るであろう。だから君子はそういうことに専念しないのである。