Classici giapponesi con furigana
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げんだいやくろんご
現代訳論語
下村 湖人
Leggi 現代訳論語 (げんだいやくろんご) di 下村 湖人 (しもむらこじん) in giapponese con furigana. JLPT N2. Tocca una parola per il significato.
N2 · avanzato · kanji e kana moderni · 127.327 caratteri · 256 schermate
九(一五六)
一〇(一五七)
また、説明に苦しんで口をゆがめるほどにならなければ、表現の手引を与えてやらない。むろん私は、道理の一隅ぐらいは示してやることもある。しかし、その一隅から、あとの三隅を自分で研究するようでなくては、二度とくりかえして教えようとは思わない。」
○ この一章は、孔子の啓発教育を端的に物語る有名な言葉である。
九(一五六)
先師は、喪中の人と同席して食事をされるときには、腹一ぱい召しあがることがなかった。先師は、人の死を弔われたその日には、歌をうたわれることがなかった。
一〇(一五七)
先師が顔渕に向っていわれた。
「用いられれば、その地位において堂々と道を行うし、用いられなければ、天命に安んじ、退いて静かに独り道を楽む。こういった出処進退が出来るのは、まず私とお前ぐらいなものであろう。」
すると子路がはたからいった。――
「もし一国の軍隊をひきいて、いざ出陣という場合がありましたら、先生は誰をおつれになりましょうか。」
先師はこたえられた。――
「素手で虎を打とうとしたり、徒歩で大河をわたろうとしたりするような、無謀なことをやって、死ぬことを何とも思わない人とは、私は事を共にしたくない。