후리가나로 읽는 일본 고전
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せかいのいっかんとしてのにほん
世界の一環としての日本
戸坂 潤
戸坂 潤의 世界の一環としての日本(せかいのいっかんとしてのにほん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 215,338자 · 422화면
何となれば、そういう民衆は、実は明治二十年代からチャンと存在したのだからだ。彼等一部の人間達――主に社会機構に本質的に無知なブルジョア文士の一部だが――は併し、何と云っても民衆という言葉を新しく発見した、そういう一種の功績がある。民衆という「言葉」は日本でも世界大戦以前に存在した。啄木が「ナロードよ」と呼んだものだ。だがこれは全く社会科学以前の文学的用語でしかなかった。処で現段階の社会事情の下に立つ例の人間達は、この言葉を今日もう一遍持ち出そうという独創性を示しているのである。
それは社会科学的な用語としてではない。社会科学的の用語としてなら、政治的自主性の問題を抜きにして今日の日本の民衆というものを論じることは出来ない筈だった。併しもし之を社会科学的用語の心算で使う場合なら、それは全くファシスト政治家の範疇を借用する他に道はないらしい。併し連中の中にはそういうファシスト政治意識から来たのでないものがいるとするなら、彼等の所謂民衆は、社会科学的用語でなくして、従来の文学的方言にすぎない。
尤も現在、民衆と人民では語感が異っている。そして文学的用語としての民衆は政治的用語としての人民とは全く別な或るものを指すようだ。