후리가나로 읽는 일본 고전
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せかいのいっかんとしてのにほん
世界の一環としての日本
戸坂 潤
戸坂 潤의 世界の一環としての日本(せかいのいっかんとしてのにほん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 215,338자 · 422화면
この二つのタイプの中間にあるものは、文士側に近い方では評論家であり、新聞記者側に近い方では編集者(新聞幹部・雑誌記者等)だろう。評論家は文士に較べて思想の直説体に於ける文筆家だから、思想表現による生活が、今日ではそれだけ文士より不自由だ。と云うよりも文士よりも評論家の方が思想らしい思想を持った者が多いからだと云った方が、正しいかも知れない。編集者は普通の記者よりも多少は表現に於て自由であり、自分の意向を多少とも製品の上に匂わせることは場合によってはできなくもない。そして無論、評論家は編集者に較べて、可なりに自由なのだ。少なくともこれまでは自由であり得たのだ。
ところが、問題は評論家の生活問題になる。と云うのは、元来思想の貧弱を極めている日本近代文化に於て、批評や評論というものの社会的勢力はおかしい程貧弱であり、従って元来評論家の生活はそれだけ「社会的地位」が低い処へもって来て、満州事変後及び二・二六事件後のこの反動期である。今日多く新しい評論家は大戦後に於けるデモクラシー及びコンミュニズム思想の台頭を動機とするか、又はこの動機に随伴するかして発育したものだから、彼等の生活にとってこの反動期がなにを意味するかは云わなくても明らかなのだ。