후리가나로 읽는 일본 고전
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せかいのいっかんとしてのにほん
世界の一環としての日本
戸坂 潤
戸坂 潤의 世界の一環としての日本(せかいのいっかんとしてのにほん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 215,338자 · 422화면
三
教養が既成文化の享受(又はその批判的享受であってもだ)である限りはだ。――ここに漱石的教養と漱石文化とに於ける、所謂シンセリティーの欠如と称されるものの、本質がある。
私はひそかに考えているのだが、例えば谷川徹三氏の如きは、漱石文化圏の選手であり、漱石の云わば三代目ではないだろうか。勿論オーソドックスの文学史から云えば、作家でない谷川氏は漱石の後継者ではないし、又氏自身の立場から云えば、何も特に漱石ばかりが自分のエレメントでも由来でもないと云うだろう。だがそれにも拘らず、「漱石文化」という文化史(?)から云うと、両「アベ」や和辻氏が二代目か二代目半とすれば三代目は谷川氏あたりであろう。そしてこの三代目は「斜に貼る」三代目ではなくて、大いに「漱石文化」の家を興す三代目であるようだ。処でこの谷川氏が時々、つまらぬ某々の男からであろうと、そのシンセリティーを云々されるのは、漱石文化史上、意味がなくはないのである。
三
漱石自身がどうであったかということが、ここでの問題ではない。漱石流の文化・漱石流の教養・が何であるかが話題である。漱石的教養がシンセリティーを欠くようにも言われるのは、教養が単に教養に止まっていて、まだ本当に思想にまで昇っていないという点からだ。