일본어 읽기 연습

후리가나로 읽는 일본 고전

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げんだいてつがくこうわ

現代哲学講話

戸坂 潤

戸坂 潤의 現代哲学講話(げんだいてつがくこうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.

N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 268,337자 · 522화면

아오조라 문고

にするという処に、従って又更に一般に、新聞それ自身――単に新聞紙だけではない――を問題とせねばならぬ処に、成り立つのである。

吾々の新聞問題が有つ処の必然性はこうであるが、同時に之は、この問題の提出形態をも決定しなくてはならぬ。それはこうである。

新聞はどういう形態の問題としてでも一応は取り上げられることが出来る。多くの通俗的な又は教科書風な新聞論乃至新聞学では、新聞経営学か新聞記者心得か、そうでなければ素人威しの新聞礼讃かが説かれている。だが吾々の視角から見て第一に必要なのは、そうした対素人的及び対玄人的な教程や教訓ではなくて、それよりも先に、新聞の社会的機能の把握と批判とでなくてはならぬ。実際、もしこの点を抜きにするならば、新聞は新聞人に取っての外、全く解くべき何の問題も有たないだろう。で新聞は少なくともこの限りでは、例えば新聞紙と読者との諸関係というような問題の線に従って、一応社会学的な問題として取り上げられねばならぬ。そしてそのためには、新聞は更におのずから、ジャーナリズムの問題として取り上げられねばならぬこととなる。ジャーナリズムの問題必ずしも、新聞人達が考えるようには、新聞の問題なのではない。