후리가나로 읽는 일본 고전
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せかいのいっかんとしてのにほん
世界の一環としての日本
戸坂 潤
戸坂 潤의 世界の一環としての日本(せかいのいっかんとしてのにほん)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 215,338자 · 422화면
だから彼が仮に自分の学説か思想がそうではないのだと云っても直接反駁にはならないわけだ。
処で私の見る処では、一般に文化的自由主義や文化主義、つまり解釈主義や解釈の哲学のことにもなるが、そうしたものは、その思想内容そのものから見る限り、大体、中庸で凡庸なものなのである。尤もそう云ってもそういう思想を持っている人間そのものが中庸的で凡庸だということにはならぬ。少なくともそういう思想を自分でつかんだ本人は決して凡庸な人物ではあり得ない。三木の如きそういう人物だ。併し性格や頭脳のブリリヤントな三木ではあっても、その懐く三木哲学の今云ったような特徴の方は、あまり天才的なものではない。従って三木哲学のファンには人物として凡庸ならざる者は殆んどないと云ってもいい位いなのは、不思議ではないのである。凡庸な思想の追随者は、凡庸な人物以外ではあり得ない筈だからである。
だがこういう社会の凡庸層ともいうべきものは、実はインテリ層に非常にひろがっていることを見落してはならぬ。それであればこそ三木思想は、一種の通俗性と一見大衆性に近いものとを持つことが出来る。所がこの通俗性の通用範囲、この大衆性の持主である大衆らしいもの、之は実は凡庸で鋭さを欠いた或る種のインテリ層だったのだ。