후리가나로 읽는 일본 고전
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げんだいゆいぶつろんこうわ
現代唯物論講話
戸坂 潤
戸坂 潤의 現代唯物論講話(げんだいゆいぶつろんこうわ)을 후리가나와 함께 일본어로 읽으세요. JLPT N2. 단어를 누르면 뜻이 나옵니다.
N2 · 고급 · 신자체·신가나 · 251,295자 · 490화면
そういう形而上学的な一遍にして永劫な写しは実践的な唯物論と弁証法との関わり知らない処のものだ。そして唯物論的弁証法は論理以前の所与などは知らない、所与となった限りすでに論理的に媒介されたものだ。ただ絶対的弁証法や観念弁証法と異る点は、自然や物質的存在の凡てが、そうした(絶対媒介された)所与にすぎぬという風には考えないというだけだ。――で一体模写説はどこが形而上学的で同一哲学的で神秘的なのだろうか。之に反して種の論理に於ける論理の超時間的即ち超物理的な絶対化こそ、形而上学化でなければなるまい。絶対弁証法なるものはその意味に於いては、正に反弁証法的弁証法に過ぎないだろう。
田辺博士は十全な意味に於ける自然なるものを認めようとしない。或いは寧ろ自然をそういう風に考えないことが却って自然に対する十全な見方だというのだろう。つまり認識主体や論理的媒介がまだ時間的に発生しない以前の資格に於ける自然、そうした裸の自然は之を認めないらしい(『思想』百六十一号―「古代哲学の質料概念と現代物理学」)。自然はどのような場合でも主体との媒介なしには考えられない。そこで認識論上博士はイデアリストでもなければマテリアリストでもなくて、云わばマテリオ・イデアリストという折衷主義者として現われる。