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ごべんのつばき
五瓣の椿
山本 周五郎
「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,721 字 · 296 页
「あの人は買物にゆきました」
おそのは振り返って「おや」と眼を細くした、「おしのちゃんじゃないの、あんた来ていたの、じゃあちょっと手を貸して」
男はひょろひょろと脇へどき、おしのは母の合羽を脱がせてやった。
「この人ね」おそのは男のほうへ手を振って云った、「播磨屋のお弟子で菊太郎というの、菊ちゃん、これいつか話したあたしの娘のおしのよ」
「今晩は」と菊太郎はおじぎをして云った、「中村菊太郎でございます、どうぞよろしく」
おしのはぞっとした。おじぎをするそのしなも、鼻にかかった甘ったるい作り声も、背骨の縮むほど不潔でいやらしかった。さあ飲み直しをしよう、おそのはそう云い、菊太郎の手を取って、奥の六帖へはいった。――おしのは云われるままに、炬燵へ火を入れ、酒の支度をした。酒は燗徳利に一本しかなかったが、おそのは冷のまま湯呑に注いで、菊太郎と二人で水を呷るように飲んだ。
やがておまさが帰って来、酒と肴を注文するように命じたが、母と菊太郎のそんなありさまを、おまさに見られてはならないとおしのは思った。むろんおまさは知っているであろうが、自分のいるところでおまさに見られるのは、自分まであさましく汚されるように感じたのである。