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ごべんのつばき
五瓣の椿
山本 周五郎
「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,721 字 · 296 页
三
俗ににがみばしったといわれる、眉の濃い、おもながの、ひきしまった顔に微笑がうかび、たのしそうに鼻唄をうたった。にがみばしった顔が、にわかに浅薄な卑しさをあらわし、その眼はさらにけもののような貪欲な光を帯びてきた。
「踊りの品がよいとやら」と彼は常磐津節をたのしそうにうたった、「――わたしもどうか乙声の、音頭のふしが気にいって、ぞっとしんから戻りがけ」
階段を登り、さっきの座敷の前でうたい終ると、彼は障子をあけて中へはいった。若い女中が空いた燗徳利や皿小鉢を片づけてい、女の姿はみえなかった。
「身にしみじみと村雨は――」そう続けて坐りながら、彼は女中に呼びかけた、「こちらの、あれはどうしたの」
「お伴れさまですか」と女中が云った、「たったいまお帰りになりましたわ」
「か、――」男は口をあき、それから疑わしげに訊き返した、「帰ったって、ここにいた、私の、あの人がかい」
三
半刻ほど経って、男はその「花田」という料理茶屋から出た。日が昏れかかって、街には灯がつきはじめているが、空は磨いだように青ずんで高く、大川のほうから吹いて来る微風は、肌にしみとおるほど冷たかった。