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ごべんのつばき
五瓣の椿
山本 周五郎
「講談倶楽部」1959(昭和34)年1月~9月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 149,721 字 · 296 页
おそのは殆んど泥酔しているため、娘の手かられることができなかった。
「お父つぁんは死んでるのよ、もうなにもできないし口もきけないんだから、ちっとも怖がることはないわ」とおしのは云った、「さ、ちゃんと坐って、おちついて聞いてちょうだい、あたしおっ母さんに云いたいことがあるんだから」
「いや、いや」おそのは激しく、子供のようにかぶりを振った、「あたし死人の側なんかはいや、きびがわるいから堪忍して」
おしのは母の肩をつかみ、「おっ母さん」と云いながら揺りたてた。おそのは黙った。躯から力がぬけてゆくようにみえ、いちどがくっと垂れた頭を、もの憂げにあげて娘を見た。頭を垂れたとき、銀の平打の釵がぱたっと落ちた。
「云いなさい」とおそのは娘に云った、「あたしにどんなことが云いたいの」
「自分であんまりとは思わない、おっ母さん」とおしのは母の眼をみつめた、「あたしものごころのつくじぶんからこの眼で見て来たわ、御夫婦になってから二十年ものあいだ、お父つぁんはまるで雇人同様に扱われ、文句一つ云わずにくらしていたわ、そうでしょ、酒も飲まず煙草も吸わず、芝居や寄席は覗いたこともないし、遊山にいちどでかけたこともなかった、そして、そういうくらしをし続けたまま死んでしまったのよ」