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にんげんひょう

人間豹

江戸川 乱歩

「講談倶楽部」大日本雄辯會講談社、1934(昭和9)年1~2月、5月~1935(昭和10)年5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 155,989 字 · 311 页

青空文庫

蘭子はいつの間にか、浴槽の中に首までつかっていた。

人間豹は、鼠をもてあそぶ猫のように、急に襲撃するでもなく、タイルの洗い場にうずくまったまま、ずうっと首を低くして、ギラギラ光る青い眼で、いつまでもいつまでも、さも楽しげに、湯の中の餌食を睨んでいた。

同じ屋敷のそとでは、蘭子の恋人神谷芳雄が、ガラスのかけらを植えつけたコンクリート塀のまわりをグルグルと廻り歩いていた。

彼は蘭子の女中奉公を、別の自動車で見送って、彼女が邸内にはいるのを見届けてからも、なんとなく気掛りなものだから、三十分あまりも、屋敷の前にたたずんだり、裏手に廻ったり、どこか隙見でもする箇所はないかとさがしたり、そこを立ち去りかねていたが、いつまでそんなことをしていても仕方がないと諦めて、通りすがりの自動車を呼びとめた。

ちょうど彼が自動車に乗りこんだ時分、邸内では、あの浴場の悲劇がはじまっていたのだが、広い邸内の密閉された湯殿の中とて、蘭子がいかに叫ぼうとも、その声は塀のそとまで届こうはずはなかった。それとも知らぬ神谷が、人間豹の眼から恋人を完全に隠しおおせたつもりで、安堵して帰途についたのは是非もないことであった。