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ぜんのけんきゅう

善の研究

西田 幾多郎

「善の研究」弘道館、1911(明治44)年2月6日発行

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 123,777 字 · 243 页

青空文庫

現前の意識現象とこれを意識するということとは直に同一であって、その間に主観と客観とを分つこともできない。事実と認識の間に一毫の間隙がない。真に疑うに疑いようがないのである。勿論、意識現象であってもこれを判定するとかこれを想起するとかいう場合では誤に陥ることもある。しかしこの時はもはや直覚ではなく、推理である。後の意識と前の意識とは別の意識現象である、直覚というは後者を前者の判断として見るのではない、ただありのままの事実を知るのである。誤るとか誤らぬとかいうのは無意義である。斯の如き直覚的経験が基礎となって、その上に我々の凡ての知識が築き上げられねばならぬ。

哲学が伝来の仮定を脱し、新に確固たる基礎を求むる時には、いつでもかかる直接の知識に還ってくる。近世哲学の始においてベーコンが経験を以て凡ての知識の本としたのも、デカートが「余は考う故に余在り」cogito ergo sum の命題を本として、これと同じく明瞭なるものを真理としたのもこれに由るのである。しかしベーコンの経験といったのは純粋なる経験ではなく、我々はこれに由りて意識外の事実を直覚しうるという独断を伴うた経験であった。