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きょうふおう

恐怖王

江戸川 乱歩

「講談倶楽部」大日本雄弁会講談社、1931(昭和6)年6月~7月、9月~10月、1932(昭和7)年1月~5月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 66,038 字 · 133 页

青空文庫

十分程たつと、追手の蘭堂を初め書生達が、空しく引返して来た。そのあとから、青ざめた女中達がオズオズと、寝室の入口へ顔を出した。

「奥さん申訳ありません、逃がしてしまいました」

蘭堂はセイセイ息を切らしながら云った。

夫人はやっと顔を上げて、キョトキョトとあたりを見廻した。

「では、あの京子も……」

「エエ、京子さんの死骸もです。僕はとりあえず附近の交番に立寄って、非常線の手配を、電話で本署に頼んでくれる様に云って来ましたが。もう手遅れかも知れません」

「見失ったのですか」

「そうです。……僕は駈けっこでは人にひけを取らない積りなんだけれど、あいつにかかっては敵いません。あいつは全くゴリラです。人間ではありません。あんな重いものを抱えながら、まるで黒い風の様に走るのです。町角を三つばかり曲ったと思うと、もう影も形も見えませんでした。実に恐ろしい魔物です。今頃非常線の手配をした所で、恐らく無駄でしょう」

蘭堂は申訳なさそうに説明した。

「本当です。奥さん。あいつは人間じゃありません。僕等は心臓が喉から飛出す程走ったんだがなあ」

一人の書生が残念そうに怒鳴った。