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しんしょたいこうき

新書太閤記

吉川 英治

06 第六分冊

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 200,320 字 · 398 页

青空文庫

――左様に申したであろうが」

「も、もうしました……」

「これッ」

「……あ」

「いつ、汝が骨折ったか。今日の甲州入りに、いかほどな殊勲をなしたというのか」

「も、勿体ない」

「なに」

「光秀、いかにお祝酒に酔いましょうとも、なんで左様な、驕りがましきことばを」

「さもあろうず、そちに、驕り得る理由はない。したが心の油断というもの、信長が酒興にまぎれ、耳をそらしておると思うて、つい不平を申したな」

「畏れ多い。天地の神も御覧あれ。光秀、破衣孤剣の身より、今日の重恩をいただきながら、なんとて」

「いうな」

「お放しください」

「放してやる」

信長は突き退けて、

「於蘭。水」

と、大声で呼んだ。

蘭丸が、器に水をたたえて捧げた。その水を手にとる眸は火であった。彼は彼自身の心火に燃やされて肩で息をしていたが、光秀は、いつか主君の足もとを去ること七、八尺も向うに、襟を正し、髪をなでて、板敷に胸もつくばかり平伏していた。

「…………」

あくまで取り乱さないそのすがたが、なぜか好意に見えないのみか、信長の足をしてさらにそれへ歩ませようとさえしかけた。

「……あッ。もし」

蘭丸がたもとを抑えなければ、ふたたび広縁の床が鳴ったろう。