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ささめゆき
細雪
谷崎 潤一郎
03 下巻
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 226,715 字 · 431 页
「何でやろう、不思議やわ、井谷さんのことで泣くなんて」
「何か、外のことやわきっと。井谷さんの話は照れ隠しやわ」
「芝居に誘うて欲しかったんと違うか知らん」
「そうや、芝居が見たかったんやわ」
幸子は姉が、芝居が見られないで泣くなどと云う子供らしさを内心耻かしく思いながら、最初のうちは一生懸命に怺えていて、しまいに怺えきれなくなって泣いたのであると云うことが、今になるとはっきり分って来たのであった。
「姉ちゃん、あたしに帰るように云うてはれへなんだ?」
「ええ塩梅に、その話は出えへなんだ。芝居のことで胸が一杯やったらしいわ」
「そうか」
と、雪子は心からほっとしたように云った。
歌舞伎座ではお互の席が離れているために懇親を深める機会はなかったが、それでも食堂では一緒であったし、五分か十分の幕間にも、どうです、廊下へお出になりませんかと、御牧がわざわざ連れ出しに来ると云う風であった。そして、ハイカラなことにかけては趣味の広い彼であるが、歌舞伎の知識は皆無です、と自分で白状している通り、旧劇のことは一向不知案内らしく、長唄と清元の区別さえ付かないことを曝露して、光代に冷やかされたりした。