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きくやしき
菊屋敷
山本 周五郎
「菊屋敷」産報文庫、大日本雄辯會講談社、1945(昭和20)年10月
N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,620 字 · 71 页
――察しているのだ、そう思うと志保は胸がふるえた。続けようとした言葉も喉に閊え、早くも眼に涙が溢れそうになる、しかし自分で自分に鞭打つような気持で、「江戸の母が呼んでいる」と告げた。できるだけ感情を混えないように、少しでも子供の気をひくような言葉を使わないように、つとめて平静にわかり易く事情を語った。
「……そういうわけで、江戸にいる本当の母があなたに帰って欲しいと願っています、わたしにすれば、これまで育てて来たのだからこれからもそばに置いてお世話をしたい、そしてあなたがりっぱな武士になるゆくすえを拝見したいのですが、……どちらになさいともわたしは云いません、あなたご自身でよく考えて、こうしたい、こうするほうがよいと思うところを云ってごらんなさい、わたしはあなたのお考えどおりにしたいと思いますから」
晋太郎は俯向いたまま身動きもせずに聴いていた、志保の言葉が終ってからも、からだを固くし、拳をきつく握って、……よく見ると破れるほど強く唇を噛みしめている。
――どう答えるだろう。志保は眼まいのしそうな気持だった、江戸へ帰ると云うか、それともここにいると云うか、ああ。