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きくやしき

菊屋敷

山本 周五郎

「菊屋敷」産報文庫、大日本雄辯會講談社、1945(昭和20)年10月

N2 · 挑战 · 新字新假名 · 36,620 字 · 71 页

青空文庫

十

は、この国の民ならおよそ十歳にして知らなければならぬことを、今はじめて、しかも戸を閉してひそかにまなぶということです、しかもその戸は、おのれ自身の心にもあるのですから、自分の心の一部にさえ戸を閉さなければならない、……悲しいというよりは嗤うべきことかも知れませんが」そう云いかけてふと、他をかえりみるように「山崎闇斎が――藩国に仕えず王侯に屈せず、といった言葉を、わたくしはいま身にしみて羨やましく感じますよ」

志保は黙って頷ずきながら聞いていた、なにも云うことはなかった、ただ心のなかで、――この方たちも成長してゆく、ということを呟いていた、この方たちも……。

十

それは一種の云い表わしがたい感動であった。自分のふところで晋太郎が成長してゆくように、亡き父の志した方向へと門人たちが成長してゆく、二つのものが、この菊屋敷のなかで逞ましく成長してゆきつつある、しかも両者とも志保と深い絆につながれているのだ、晋太郎が志保の子であるように、門人たちのなかに一人、いまもなお志保に心をよせている者がある、……そう思うと身内が熱くなるような、よろこびとも顫震とも云いようのない感動がこみあげてきて、志保はわれにもなく胸をかき抱く気持だった。